ツララツラツラツブラカナ

なんてことはないなんてことのないこと

沈黙は金、雄弁は銀

みなさんこんにちは。

瞬く間に秋。
田園の稲穂が黄金色に色づき始めております。

 

先日の早朝、
気晴らしがてらランニングに出かけた折、2羽の雉(キジ)と遭遇しました。
こちらに気が付くと声もあげずに走り去ってしまいました。

 

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本日は稲穂と雉で思い出したお話、「おしになった娘」についてつらつら書いてみようかと思います。

余談ですが、”おし”というのは発話障害等によって口がきけない者のことを指す言葉で、現在ではあまり使われることがありません。
漢字では”唖”と書きます。

この「おしになった娘」というお話は信濃、今でいう長野県に伝わる民話で、
当地を流れる犀川に架かる「久米路橋」にまつわる人柱伝説がもとになっています。

以下にざっくりと「おしになった娘」の内容を書かせていただきたいと思います。

 

 むかしむかし、犀川のほとりに小さな村がありました。

 この村では毎年秋の雨の季節になると、犀川が氾濫して多くの死人が出るので、

 村人はたいそう困っていました。

 この村には”五作”とその幼い娘”もりい”という父娘が二人で暮らしていました。

 母親は前の年の大雨に流されて死んでしまいました。

 残された二人は貧しいながらも仲良く暮らしておりましたが、ある年の雨の季節に

 もりいは病を患い床にふせってしまいます。

 医者を呼んでやろうにも貧乏な五作には薬を買うお金もありませんでした。

 必死に看病しますが、日増しにもりいの容体は悪くなっていきます。

 そんなある日、いつものようにもりいに粟(アワ)の粥を食べさせていると

 「もうかゆはいらない、わたし、あずきまんまが食べたい」と言います。

 あずきまんまというのは赤飯のことで、もりいにとってはまだ母親が生きていた頃に

 一度だけ食べたことがあるごちそうです。

 しかし今の貧乏な五平の家には米もあずきもありません。

 病床の娘のたったひとつの願いに、五平はある決心をします。

 「地主様の蔵になら、米もあずきもあるに違いない」

 こうして五作はかわいいもりいのために、生まれて初めて盗みを働くのでした。

 

 地主の蔵から一すくいの米とあずきを持ち帰った五作は、もりいのために

 あずきまんまを作って食べさせます。

 「ありがとう、お父。あずきまんまはおいしいなあ」

 「そうか、うまいか。たんと食べて早く元気になれ」

 こうして食べさせたあずきまんまのおかげか、もりいの容体は日に日に良くなり

 やがて外で遊べるまでに回復しました。

 一方、地主の家では蔵に盗人が入ったことに気づいていました。

 お金持ちの地主にとって盗まれた米とあずきは大した量でもありませんでしたが

 一応は役人に届け出ることになったのでした。

 そうしてしばらく経ったおり、元気になったもりいは外でマリをつきながら

 歌を歌っておりました。

  ♪トントントン
  ♪おらんちじゃ、おいしいまんまたべたでな
  ♪トントントン
  ♪あずきのはいった、あずきまんまを

 近くで畑仕事をしていた百姓は、その歌を聴いて

 「変だな、五作のところは貧乏であずきまんまなんて食えやしないはずだが…」

 と訝りますが、さほど気にもとめませんでした。


 やがてまた大雨の季節となり、犀川の水は今にも氾濫しようとしていました。

 頭を抱えた村人たちが村長の家に集まり考えを巡らせていると、ある者が言います。

 「人柱をたててはどうか?」

 居合わせた村人たちも次々に同意します。

 そうなると”誰を”人柱にするかを決めねばなりません。

 「そういえば…」とひとりの村人が口を開きます。

 それはあの日、もりいの歌を聴いていた百姓でした。

 百姓はあの日もりいの歌っていた手毬歌について皆に話しました。

 地主が役人に届け出たことによって、蔵に盗人が入ったという噂は村人の知るところ

 となっていたので、その話が決め手となり五作の家に役人が詰めかけます。

 「五作、おぬしは先日地主様の蔵に米とあずきを盗みにはいったであろう?

 娘が歌っていた手毬歌が何よりの証拠じゃ」

 もりいはハッとして五作の方を見ます。

 「お父!」といって泣き出すもりいに、五作は優しく

 「お父はすぐ帰ってくる、心配せずに待っていなさい」と言います。

 しかし五作が帰ることは二度とありませんでした。

 連れて行かれた五作は、犀川の大水をしずめるための人柱として、

 生きながら埋められてしまったのでした。

 「わたしが歌なんか歌ってしまったばっかりに…」

 もりいは何日も泣き暮らした後、やがて一切しゃべらなくなってしまいました。

 たったひとすくいの米とあずきを盗んで生き埋めにされた五作と、

 悲しみから口をきけなくなってしまったもりいを憐れむ村人もおりましたが、

 どうしてやることもできません。

 変にかばいだてて次の人柱にされてはたまらないとも思っていました。

 

 そうして何年か経ち、もりいはすっかり美しい娘になっておりましたが、

 相変わらず口がきけないままでした。

 そんなもりいのことを村人たちは気の毒そうに見ていました。

 ある日、村の猟師が獲物を求めて山に狩りに出たときのこと、

 一羽の雉が「ケーン!」と大きな声で鳴きました。

 猟師は声をたよりに構えた鉄砲の引き金を引きます。

 ズドーン!

 猟師は藪をかきわけ、仕留めた獲物を探している最中、ハッとして足を止めます。

 そこには撃たれた雉を抱えたもりいが静かにたたずんでいました。

 「かわいそうに、おまえも鳴いたりしなければ、撃たれて死ぬこともなかったろうに」

 そう言ってもりいは涙を流します。

 長く口をきけないと思っていたもりいの言葉に驚いて、猟師は声をかけます。

 「もりい、おめえ口がきけたのか」

 もりいは猟師にはなにも答えず、ただぽつりと「雉も鳴かずば撃たれまいに」

 とつぶやくと、雉の亡骸を抱いたままその場を去っていきました。

 以来この村でもりいの姿を見たものは誰もいないそうです。

 

さて、いかがだったでしょうか。
残酷で悲しい、それでいて教訓に満ちたお話だと思います。

タイトルの「沈黙は金、雄弁は銀」というのはイギリスの思想家が唱えた言葉ですが、
このお話にも同様の哲学が流れているような気がいたします。

 

今こうして書いているブログやSNSをはじめ、現在では思ったことを発信する術は実に多様です。
だからこそ一度立ち止まって考えるプロセスもときには必要な気がいたします。

黙りすぎるのもそれはそれで問題ですが、不用意な一言はできれば口にせずにいたいものですね。